18歳から人生が始まった

ゼロからアルゼンチン移住を目指すニート男の人生を現在進行形で実況します。自分らしく自然な姿で生きたい。

高校生の時に感じた、学校に無駄が多い理由とおかしな教育制度を主張・批判する

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学生の多くは一度は感じてたことがあるのではないでしょうか。

 

「学校って無駄なことばっかりじゃね?」

「学校って他に教えるべきことがもっとあるんじゃないの?」

 

僕もこんなふうに思っていた時期がありました。特に高校生の時とかはしょっちゅう思ってましたね。

高校の学習範囲とかになると、全く役に立たないことも教え込まれて、大学受験のためだけに必死こいて勉強しなきゃいけないなんてことになって嫌なんですよね。ひたすら嫌。そして無駄。

 

ちなみに僕は私文だったので記事全体が文系の話に寄っているのでご了承ください。理系のことはよくわかりません。

【目次】 

 

学習内容

学校が無駄じゃね?って感じてる人って主に高校で習う学習内容についてそう考えているんじゃないかなって思います。

「こんなの一生使わないだろ」とか「こんなのやって何の意味があるんだよ」とか。

「これからを生きていく上で二度と使わないようなことを教え込まれてもどうせ使わないし、こんなの必死に暗記してどうすんの?どうもしないでしょ?大学受験終わったらみんな忘れるんでしょ?結局無駄じゃん。」と思う人もいると思います。

僕も高校時代に同じようなことを考えてて、今はもう大学受験は終わったんですが、本当に無駄だと思います。高校の学習内容って無駄なことがめちゃめちゃ多いと思うんですよ。

 

例えば、こんなの勉強したって使わないだろの代名詞である古文は、この先生きていく上で本当に使いません。

そりゃそうでしょ。今使ってるのは古文じゃなくて現代文なんだから。現代で古文を使うときなんて、テレビで古文の特集やってる時くらいです。

漢文も同じで、なんで高校の学習内容に、わざわざ古文漢文を選んだのかと不思議で仕方ありません。他に生きていく上で役立つ教科とか他にもたくさんあるでしょ。なんでそういう実用性のある科目じゃなくて、あえて古文漢文を学習内容に入れたのか。

古文漢文なんて大学受験が終わったら二度と使わないし、見かけることすらこの先の人生ほぼありません。

 

ていうかそもそも大学に入学するための条件である入試に、なんでこの先一生使わない古漢が含まれているのかって話だよね。そういうのを研究したいっていう人ならまだわかかるけど、文系って多くの大学入試で古漢必要じゃん。たとえそれが外国語学部とか法学部であってもさ。意味わかんないよね。

 

数学なんかはどうでしょう。今の大人世代の人たちに聞いてみたいですね。「学校を卒業してから「解の公式」をどれだけ使ったことがありますか?」と。

-b±√b^2-4ac/2aなんて式を使って生活している人なんてほぼいないはずです。仕事柄こういうのを使う人は一部いるのかもしれないけど、ほとんどの人にとって役に立たない式です。

相似はどうでしょうか。ケーキショップで大小2つのケーキがあったとして、相似を使って「どっちが得かなー」なんてやりますか?

日常生活のどの場面で三平方の定理を使って辺の長さを求めるんですか?

三角関数はいつ使いますか?最後に因数分解をしたのはいつですか?

こんな知識知らなくたって問題なく生活できます。

僕は中学レベルの数学ができればそれでいいと思うんですけどね。高校の範囲になるとほぼ使わないことばっかりだと思えるんですが、どうでしょうか。

 

まだまだあります。それぞれの原子の周りにある電子の数を知って何が分かりましたか?その知識は何に活かせますか?

生物や化学にも「そんなん知って何になんの?」と思えることが山ほどあります。

歴史も覚える必要がないようなかなり深いところまで学習し、二度と出会うことのないような用語も片っ端から覚えさせられます。大学受験のためだけに。

 

こういう知識ってかなり特殊な生き方をしている人しか使いません。だから大学受験が終わったらすぐ忘れます。もう使わないような知識ばかりなので思い出す機会すらないでしょう。それだけ実用性のない知識だということです。

 

学校の教師は「いつか役立つから」なんて言っているかもしれませんが、いつ使うかも説明できない時点でその知識は使いません。教師だってもし本人が教師をやっていなかったらとっくの前に忘れていたことばかりでしょう。

 

学習法はなんとかならないの?

高校生の皆さんは「英語」はどうやって勉強していますか?

文法書をガリガリ解いて、英単語をゴリゴリ覚えて、長文は定期的に読んで...

 

で、英語は話せるようになりましたか?

 

なりませんよね。

当然です。語学勉強しているの会話しないんだもん。英語を話さないで英語が話せるようになるわけがありません。

 

にも関わらず、大学受験のためという理由だけでどれだけ文法を正しく使えるかや、どれだけ単語を知っているか、英文をどれだけ正確に読み取れるかというようなことばかりに焦点が当てられています。

「実際に自分が英語を使って何ができるか」ということよりも、「与えられた英語をどれだけ理解できるか」ばかりに注力されているのです。

だから実際に外国人と会話するときに円滑なコミュニケーションが取れないし、自分から進んで英語で何かしようとする気持ちがなくなるんです。これじゃ英語勉強している意味なんてあるの?って思いますけどね。

 

リスニングはどうでしょう。センター対策とかでよくやりますよね。確かにこれは実際に外国人と会話することになったら使えるスキルでしょう。

 

で?何て返事するんですか?

返事が出来なかったら結局意味ないですよね。自分から情報を伝えられないなら、いくらリスニングが出来たって結局それも無駄ということになります。

 

このように実際の生活で求められる英語力と、学校で求められている英語力が完全にズレています。これじゃあ英語を勉強している意味は大学受験を乗り切るためだけということになってしまいますよね。じゃあ大学受験が終わったら忘れてもいいってことですよね。

こうなってしまうから英語がうまく使えない人が多いのではないでしょうか。

 

これでも僕たちって英語を6年とか勉強しているんですよ?これを読んでいるあなたが高3なら人生の3分の1の期間は英語に触れていることになります。それなのに英語が話せないってちょっとどうなの?って思います。外国人がこれを知ったらびっくりするでしょう。

ちゃんとやれば遅くても3年くらいで結構話せるようになると思うけど。6年あったら英語の他にあと2カ国語くらいはある程度習得できそうですけどね。

テレビでは英語が話せる日本人って「すごーい!」とかいわれますが、客観的に見ると英語を6年も勉強していてろくに話せないっていう状況の方がある意味すごいと思われるでしょうね。

 

英語に話が偏ってしまいましたが、古文でも、文法覚えて単語覚えて読解問題が解けるようになるってことよりも、この物語はこういう話で~とか、古文の世界ではこういうことが常識で~というように「理解」したり、文献の参照の仕方を勉強したりする方が重要だと思います。

歴史も同じで、大学受験で求められるようなどうでもいい細かいことばっかり詰め込むよりも、全体の歴史を大きく俯瞰する力をつけたり、興味を持った分野を自分で調べたりしてみる方がよっぽどためになるんじゃないでしょうか。

 

もっと他に教えるべきことがあるんじゃないの?

学校でやる内容や科目なんて、受験のためにあるようなものといってもいいんじゃないですか?そこで学んだことって受験以外で本当に役に立つんでしょうか?

学校では他に教えるべきこと大切なことがが山ほどあります。本来なら学校で教えられるべきはずで、生きていく上で自分を助けてくれることってもっともっとあるはずです。

 

 例えば法律の授業を必修にしてみてはどうでしょう。法律を勉強する機会なんて、自分で作るか法学部行くかしないと無いでしょう。

逆に言うと僕たちは日本に住んでいるのに日本の法律をろくに知らないで生活しているんですよ。

教育現場で法律が教えられないことに疑問を感じるのは僕だけでしょうか?

僕たちが知っている法律ってだいたいテレビやネットでよく見かける法律くらいで、そんなものはたかが知れています。

 

法律以外にも政経を必修にしてもいいかもしれませんね。日本の政治家なんて選挙公約とかいう大義名分を掲げて、当選したら何やってるかわからないような人ばっかりでしょう。国民の裏で何やってるかわかんないですしね。

日本人の政治的関心の無さからして、権力者にとって都合のいい法案を通すことだって容易いでしょう。

経済のことなんて、自分で稼いで生活するくらいの歳になればかなり有益な知識がたくさんあるはずです。

経済の回り方なんかは知ってて損はないし、経理的な知識も役立つでしょう。なんなら知識フルに活かして自分でビジネスを考えたりもできそうです。

それからお金に関する知識も必要になりますね。働き始めたら税金のこと、保険のことなど生きていく上で間違いなく必要になる知識がたくさんあります。

 

しかし、僕たちはこれらを学校で教えてもらえないため、学校を卒業してからわざわざ自分で勉強する必要があります。教えるべきことの順序が間違ってるよね?

学校ではこれから先学校を卒業してからの長い人生において二度と使わないような知識を詰め込んで覚え込ませるくせして、実用的な知識はほとんど教えてくれません。これじゃあ学校が何のために存在しているかわかりません。ほんと学校って何を教えてるの?

 

僕たちは疑問を持ち、考えることを教えてもらっていない

「校則を守るのは別に普通じゃん」

「進学校の高校生なら普通は大学進学を目指すでしょ」

「いい大学を出て、大企業に就職できたらまぁ普通に幸せなのかな」

「俺は普通にサラリーマンでぼちぼち稼げればそれでいいや」

ここでは「普通」という言葉が使われていますが、みなさんの考える「普通」とは一体何ですか?何が普通で、何が普通とは違いますか?その普通は何によって作られましたか?

 

どうして校則を守るのは普通なのでしょうか?校則だから?答えになっていません。なら校則を守らない人は特殊なのでしょうか?

どうして大学進学以外にも進路はあるのに、進学を選択するんですか?明確な理由はありますか?

いい大学を出て大企業に就職できたら本当に幸せは保証されますか?

ぼちぼち稼ぐ手段がなんとなくサラリーマンになっているのはどうしてですか?サラリーマン以外でぼちぼち稼ぐことはできるはずですよね?

 

多くの人が考える「普通」とは、すなわち多数派の意見や何者かによって作られた風潮ではないでしょうか。

この普通という言葉に常に頼っている「考えない人間」の量産は学校教育の場面で潜在的に意識が刷り込まれているのではないかと僕は疑っています。

「先生に指示された通りに行動しないと怒られる」

「校則は守られるべきである」

「みんなが賛成している意見に反対するのは避けたほうがいい」

といった具合です。

 

具体例として「学校でピアスは禁止」を挙げてみます。

まず、どうして?

疑問に思いませんか?ピアスなんて開けたい奴は開ければいいし、開けたくない奴は開けなきゃいいだけの話じゃないですか?ピアスひとつでそんなに学校の風紀が乱れますか?「個性の尊重」はどこいったんですか?

学校でピアス禁止なんて、ピアス=悪という偏見を持った人間が決めたルールでしょう。染髪禁止も同じです。

こんなの正当性も存在価値もありません。速やかに抹消されるべきです。

「みんなの個性を尊重しようね」なんて言っているくせに、個性を出すと「集団の和を乱すな」と言われる。そして最終的に「みんな同じ」に落ち着く。これ、おかしくないですか?

 

もうひとつ、課題についてです。

どうして課題は期限までに提出されるべきなのでしょうか?

期限までに提出することが目的なら、できるだけラクして早く終わらせる方法を考えますよね?なら当然答えを写しますよね。

自発的な学習が目的なら、課題以外に期限という強制力がない他のもっといい方法があるはずですよね?

自分でやれば力になる?でも自分にとって最善の効果が出せる方法でやったとして、期限が守れなかったら怒られますよね?これ、おかしくないですか?

 

ピアス禁止(一部認められている学校もありますが)も課題を出すのも普通のことですが、普通とは一体なんなのでしょうか?

僕たちはそんなことも教えられないまま「普通」という名の枠に閉じ込められ、それが当たり前であるかのように洗脳されます。そして、考えることをやめます。

 

また、僕たちは学校で、ある物事を客観的な視点から分析し、冷静に判断することを教えてもらっていません。

客観的に考えないと前述したような普通のことに疑問を抱かないし、善悪の判断を間違えてしまう可能性もあります。

学校で教えられたことは合理的・非合理的に関わらず正当化されるため、冷静に考えればおかしいことだって正しいことであると認識してしまうのです。

冷静に考えればおかしいことに疑問を抱いた生徒は野放しにしておくと学校制度の根幹が揺らぎかねないので、教師が感情論で教え込むことで生徒の思想を抑圧し、学校制度に従わない人間=悪という風潮を作り出します。

 

こうして考えない人間が作り出され、思考力とともに批判力が欠如します。

多数派が従う制度を批判すると、数の暴力によって少数派が自動的に悪者扱いされます。すると少数派は自信がなくなり、多数派に迎合してしまうというわけです。

そのため多くの場合多数派は正しいとされ、集団では自分が少数派にならないように意見を殺して取り繕います。

こうして主張力が欠如します。

集団の和を乱すことは悪とされ、自分の意見が周りと違う可能性が浮上すると主張を変えて、できるだけ周りと同じような意見になるようにします。

こうして積極性が欠如し、論理的思考力と論争力が無くなります。

 

ここに来た人の中には集団の空気が悪くならないように反対意見を押し殺して多数派の意見に賛成したり、相手や制度を批判して議論するといったことは避けてきたかもしれません。

でもそれじゃあダメなんです。自分で考えて、正しいことと間違ったことの判断はつけるべきですおかしいことは批判すべきです。

多数派がいつも正しいとは限りません。自分以外の全員が間違っている可能性だってあります。でも学校はそれを教えてくれません。

 

だからディベートの授業が必要だと僕は思うのです。

ある意見に対する反対意見を提示し根拠を持って対立意見をぶつけ合うことで、視野が広くなり、多様な考え方を見つけ、より深い考察ができるようになります。

いま学校で必要とされていることって過度に集団を重んじることではなくて、自己主張をすることじゃないではないでしょうか。もちろん自己主張をするだけで相手を認めないのはただの自己中ですが。

 

この記事で言いたいこと

もちろん学校が全て無駄だとは思いませんし、無駄だから学校なんて辞めろと言うつもりはありませんが、無駄が多すぎるのは確実です。

この記事にたどり着いたあなたが感じている「学校って無駄じゃね?」という疑問は大切にしてください。

周りに流されないで、自分で善悪の判断をできるように考えてください。

おかしい部分があったら根拠を持って批判的に考えてください。

 

今まで普通だと思っていたことは、本当に普通でしょうか?日本のことを何も知らない外国人から見てもそれは普通であると納得できることでしょうか?

くだらないルールに縛られていることほど無駄なことはありません。それをやらなければならない理由が説明できないものなんて大したものじゃありません。

自分の力で考えてください。客観的に見てください。