18歳から人生が始まった

ゼロからアルゼンチン移住を目指すニート男の人生を現在進行形で実況します。自分らしく自然な姿で生きたい。

ひとりでいると最高に自分らしくいられるのは、自分が絶対的な存在だから

自由な少女

僕が大学を辞めて5ヶ月ほど経過し、現在はひとりでいることが多いのですが、正直大学にいるときよりかなり自分らしくいられると実感しています。

人と関わるのはもちろん楽しいし、それ自体は僕は好きなのですが、ひとりでいるのも気楽でいいですよね。

他人に気を遣わなくて済むし、変なノリに無理に合わせる必要とかないし、頑張って会話を盛り上げようとしなくていいし、etc...

本当に仲がいい人と話すならこんなことはしなくていいんですが、大学に入った時は当然周りは知らない人ばかりなので、とにかく友達を作るために演技じみたことをしていました。

 

でも、そうやって取り繕った結果、僕は大学で自分らしくいられなくなってしまった気がします。

それが心苦しくて、大学にいる間はずっと演技をしなくてはいけなくなったし、そうしているとどんどん疲れてくるし、結局大学があまり楽しいと思えなくなってしまいました。これは僕が大学を辞めた理由の一つでもあります。

もちろん今でも友達と出かけたりすることはありますが、その人といて自分らしくいられる人と出かけています。

そんなある日、「どうして人と関わっていない自分は自分らしくいられるのか」とふと思ったので、ちょっと考えてみました。

 

どうしてひとりでいると自分らしくいられるのか?

結論から言うと、「ひとりでいると取り繕う必要がないから」ですね。そりゃそうだ。

そんなことは誰でもわかると思うので、もう少し深く考えてみます。

 

自分の存在が絶対的になる

学校などで集団生活を送っている場合は、ある人はある人の存在を相対的に位置づけをすると思うんですよね。

「あいつはかなり面白い」とか「あの人って真面目だよね」というように、その人の人格を決めることができる理由は、その集団に「面白くない人」や「不真面目な人」も一緒にいるからです。

「面白くない人」や「不真面目な人」がいるからこそ、「あの人は面白い」「あの人は真面目だ」と相対的に位置づけることができるはずです。

 

逆に比較対象がないひとりという空間で生活していると、相対的な評価ができないため、その人の人格を決定することが難しくなります。

ここでは「面白い人」や「真面目な人」という単純化された存在ではなく、「面白い時もあればそうじゃない時もある」「真面目な時もあればそうじゃない時もある」というように、単純な形に縛られない複雑な「自分」を全面的に出すことができるのです。

これは、「自分はただ自分という存在でいることができる」ということを意味します。

他人からの勝手な評価で自分らしさが揺らぐことはなく、常に自分でありたい自分であることが許される空間です。

僕は現在こんな環境で生活していますが、本当に気楽だと感じます。

 

「キャラ」という単純化された存在が誤解を生む

集団生活では人は人をできるだけ簡単な形で定義しようとします。

それが「キャラ」です。

これがなかなかの曲者で、一度キャラが決められてしまうとそのキャラからはみ出た自分はまるで自分ではないというように周りから思われてしまいます。

しかし、本当は「キャラ」を勝手に決めてきたのは相手の方であり、自分はただ自分でいただけのはずです。

それなのにその人を分かりやすく「キャラ」という形で集団の中に位置づけをすることで、その人がどのあたりの位置に存在する人なのかをみんなで決定しようとします。

一度決定されたキャラからはみ出ることは、他人から見たら「それはあなたではない」というように自分の一部として認められない場合が多いです。

つまり、「自分が自分でありたい自分」と「周りが定義するキャラ」にズレが生じた時に、周りはそれはあなたではないと判断します。

自分は相手が思っている「キャラ」よりも多くの要素を持った人間であるのに、相手から見えない部分はそれはあなたの一部ではないというように判断されてしまいます。

 

こうなると他人からのキャラの押しつけにできるだけ対応する必要が出てきます。

同時に相手からキャラと決められていない部分は自分という要素のひとつであるにも関わらず、周りに見せていくことが難しくなります。

最終的に自分らしくいることができなくなってしまい、周りから自分であると思われる自分になりきって生活する必要が出てきます。そこから外れることはキャラから外れることを意味するため、あなたという存在として判断されにくくなるからです。

簡単に言うと「こっちが決めたキャラから外れたあなたはあなたとして認めないよ」ということです。

 

さらに面倒なのは、当人が勝手に決めたキャラがほぼあなたという人間で間違いないと思い込んでいることなんですよね。

本来はもっといろんな面を持っている人間なのに、わかりやすい部分だけ見て「これがあなたである」と決め付けて、それが正しいと信じて疑わないということです。

その人のことを対して知らないくせに、自分の勝手な判断で「あの人はこういう人だ」と決めつけて、その人がキャラからはみ出ると「それはお前じゃない」っていうのはちょっとおかしいですよね。

こっちからすれば「お前は俺の何を知ってんの?」って感じです。

 

一方、ひとりでいるときは当然キャラは定義されません。というかそもそもキャラは他人から決められるものなので、キャラという概念自体が存在しません。

なので自分がどういう人間でどういう人格であろうが、そこまで含めて自分と定義することができます。

誰かが決めた自分であることを強要される心配がないので、自分という複合的なアイデンティティを持った絶対的な存在が確立します。

ひとりでいるときは外的要素と一切関係が無くなるので、自分として存在する自分がそのまま自分として定義されるのです。

 

逆に本当に仲がいい人の存在は定義がしずらい

僕が本当に仲がいいと思っている人は簡単に「こういう人間だ」と決めることは難しいと思います。

それは、その人の様々な人間的な部分を見ているからであり、あるひとつの条件に当てはめることが難しいからです。

例えば、「あの人はノリがいい」と言おうとしても、同時に「あの人は節度をちゃんとわきまえている」とも言える人であれば、一概にノリがいいとは言い切れません。

酒を飲んだり、カラオケでバカ騒ぎしたり、モノマネをやって笑わせてくれたり...という面ではノリがいいと言えますが、酒は節度を守って飲む、カラオケでいくら騒いでも物を破壊したりはしない...というように節度が守れる人なら、節度を守らずにその場の空気だけで行動している人からしたらノリがいいとは言い切れません。

周りの人間がみんな破壊行動とか過激なことをしているのに、一人だけやっていなかったらノリが悪いと思うはずです。

 

かなり極端な例え方ですが、本当に仲がいい人は定義しようとしても「あの人は○○だけど、○○な一面もある」というように逆接が入ることが多く、簡単に決めることはできないのではないかと思います。

それだけその人を複雑な要素を持ったひとりの人間として見ているわけですから、「この人は○○な人だ」という簡単な形より、「この人は○○という一面もある人間だ」というように、キャラではなく存在として見ているというのが僕の考えです。

 

 自分を決めるのは自分だ

自分という存在は、誰かがその人の一面を見ただけで判断できるほど単純なものではありません。

人間はそれだけ複雑な人格を持っていると僕は思います。

 自分はどのような人間であるか=自分はどのような人間でありたいか」と決めるのは自分自身です。他人が人の人格を決定する権利はありません。

 

集団生活では自分を無理に作らない方がいい

新しいクラスになった時とか、学校に入るときはどうしても友達が欲しいですよね。

でも、だからといって万人受けするような人間を取り繕わないほうがいいです。

もちろん、第一印象はかなりいい人のように他人には映るかもしれませんが、一度相手の中でそのようなキャラが決まってしまうと後々面倒なことになります。

集団生活ではいい人を演じていないと「それはお前じゃない」と人格を否定されることになり、自分らしくいることができなくなります。

集団にいるときにずっと自分を取り繕っているのはかなり苦痛です。もちろん、キャラは決まってしまったので、途中からキャラ変更は難しいです。

 

万人受けするような自分ではなく、性格が合う人と繋がれる自分=自分らしい自分でいましょう。

無理に取り繕う必要はなく、性格が合う人とだけ深く繋がれば僕はそれでいいんじゃないかと思います。

お互い人間ですから性格的に合う人とそうじゃない人が必ずいます。合わない人と無理して関係を続けていてもいいことはありません。

 

 人間関係が苦しいのは、自分らしくいられないから

 おそらく人間関係に悩みがある人って、ほかの人と一緒にいても自分らしくいられないからなんじゃないかなって思います。

そりゃ誰かと会うたびに演技をしないといけなくなったら当然つらいです。

無理に笑って、無理に周りに合わせていたら誰だって嫌になります。

そういうことをしていないと関係が続かないような人なら、関係を切るというのも僕はありだと思います。

自分が演技をしてまで関係を続けるメリットや利点がない限り、続けるだけ無駄だと思います。

本当に信用できて、自分をキャラではなくひとりの人間として見てくれる人と一緒にいるとかなり居心地がいいものです。

そういった人がひとりでもいると、かなり安心できます。

 

まとめ

結局ひとりでいるのが気楽な一番の理由って、周りから「キャラ」が決められることがないからだと思うんですよね。

自分がただ自分でいられる環境というのはすごく居心地がいいし、人格が相対評価されて本来の自分とズレることも無いです。

人と一緒にいることももちろん楽しいですが、その時は自分を取り繕うことなくいられるような人と一緒にいたいですね。